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アトリエ便り

森町

故郷は遠州森町の三倉というところである。伝承では徳川家康が武田信玄と戦をするとき、森町の山間に三つの蔵を建て食料や武具を収め、こもはた山という山に陣地を構えたと云う。

日本茶

最近は飲まなくなってきたが、以前は良くお茶を入れていたものだ。実家がお茶屋であったのでお茶に関しては少し詳しい。

カラオケ

カラオケは普段はやらないが、絵画教室の生徒さんに好きな人、得意な人が何人かいる。新年会等でカラオケに行くこともあるが、そういう時だけは描きながら練習もする。「木曽路の女」等が得意である。

若い音楽家

ラジオは良く聞く。まだ若い音楽家のクラッシックの演奏が耳に入る。上手いと思った。日本の音楽業界もなかなか良い人材が育ってきていると思った。

鎌倉薪能の狂言

鎌倉薪能で前半の見せ場として狂言の「かたつむり」が演じられた。侍従が山伏をかたつむりと勘違いするという滑稽な物語である。演じるのは野村万作氏であった。昔、伊東深水と共に野村家を訪れてまだ学生であった万作氏にあったことを思い出した。お兄さんの万氏(当時は万之丞)が男前であったことも懐かしい。

鎌倉薪能

10月11日、10月12日と鎌倉宮にて鎌倉観光協会主催の第五十五回、鎌倉薪能が行われた。木々の生い茂った神社の境内で闇夜に照らされた舞台は幽玄であり、とても格調の高いものであった。一服の絵である。

伊東深水のアトリエ

伊東深水は後年、鎌倉に居を構えていたが、戦前は池上本門寺境内の土地を借りてアトリエにしていた。そして戦中は小諸に疎開していた。日展の故濱田台児らはこの頃の弟子である。

鎌倉の文士

伊東先生の書生をしていた頃、鎌倉の文士たちは自分たちが集めていた美術品を競って見せ合い、お互い自慢をしていた。古き良き頃の昔話である。

鎌倉の伊東深水のアトリエ

鎌倉における伊東深水が晩年すごしたアトリエは北鎌倉駅を降りて、駅前の交番の脇を進んでいった山の上にあった。西瓜ヶ谷と呼ばれる場所で、ここで書生として14年間住みこんだ。尾根伝いに仮粧坂に出て買い出しに行かされたりもしたものだ。

郷土

郷土の森町のお祭りは立派な山車が繰り出され勇壮であったことを今も覚えている。

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