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アトリエ便り

鎌倉薪能の狂言

鎌倉薪能で前半の見せ場として狂言の「かたつむり」が演じられた。侍従が山伏をかたつむりと勘違いするという滑稽な物語である。演じるのは野村万作氏であった。昔、伊東深水と共に野村家を訪れてまだ学生であった万作氏にあったことを思い出した。お兄さんの万氏(当時は万之丞)が男前であったことも懐かしい。

鎌倉薪能

10月11日、10月12日と鎌倉宮にて鎌倉観光協会主催の第五十五回、鎌倉薪能が行われた。木々の生い茂った神社の境内で闇夜に照らされた舞台は幽玄であり、とても格調の高いものであった。一服の絵である。

伊東深水のアトリエ

伊東深水は後年、鎌倉に居を構えていたが、戦前は池上本門寺境内の土地を借りてアトリエにしていた。そして戦中は小諸に疎開していた。日展の故濱田台児らはこの頃の弟子である。

鎌倉の文士

伊東先生の書生をしていた頃、鎌倉の文士たちは自分たちが集めていた美術品を競って見せ合い、お互い自慢をしていた。古き良き頃の昔話である。

鎌倉の伊東深水のアトリエ

鎌倉における伊東深水が晩年すごしたアトリエは北鎌倉駅を降りて、駅前の交番の脇を進んでいった山の上にあった。西瓜ヶ谷と呼ばれる場所で、ここで書生として14年間住みこんだ。尾根伝いに仮粧坂に出て買い出しに行かされたりもしたものだ。

郷土

郷土の森町のお祭りは立派な山車が繰り出され勇壮であったことを今も覚えている。

子供時代

子供の頃から絵を描くことは好きで学校の先生に褒められたものだ

遠州森町

郷里は静岡県周智郡森町である。遠州森町は森の石松でしられる街でお茶の産地である。かく言う大竹家もお茶を営んでいた。

その昔、掛川の御殿様が森町の三倉中村という場所を視察した時、そこの地主の家で休憩をとった。殿さまは、家の主と談話がはずみ、うっかり竹の杖を地面に刺したまま忘れて行ってしまった。やがて杖から根が出て、葉が茂り竹林となった。その竹は大名竹(だいみょうたけ)と地元で呼ばれ、竹林の有った家も大名竹家と呼ばれるようになった。

今では大名竹(大竹)家も土地を離れてしまった。屋敷の跡地は山に埋もれ、竹は今でもこっそり人知れず生えているとのことである。

今でも森町役場から町の広報誌が家に届く。わずかながら繋がりは続く。

 

美しき流れ

「美しき流れ」は絵に必要である。

良い絵には流れがあり、悪い絵は流れが止まっている。

まず第一に構図が大切である。構図が良いと自然と絵に流れが出来てくる。

逆に構図が悪いといくら描き込んでも流れは出てこない。

 

註)「美しき流れ」はそもそも、「武田信玄」や「信長」といった20年ほど前の大河ドラマで使われた言葉であった。この場合は歴史における政治的

秩序の理想をうたったものであったが、すべての事象にこの言葉は当てはまる。イメージとしては以前から持っていたが、良い言葉が今までなか

った。今は座右の銘としている。

画品

絵に限らず品というものは大事である。下品な人よりやはり上品な人の方が美しいと感じるはずである。

絵も一緒でどんなに上手でも品が無ければ魅力を感じられない。特に美人画の場合はモチーフが舞妓さんということもあり、より品格が求められる。

上品な絵を描くには作家自身の品性を磨かなくてはならない。

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